最近、小説を書かずにぼーっとテレビを見ています。
なんでかは本人も分からないのですが
頭の中では構想をいろいろ練っているので
やる気減退ってわけじゃないんだろうけれど・・・

そんな感じの日々の中で
一応、教員免許保持者の身なので
「家庭環境と教育の格差」
なんて話題に目がいきます。

けど、経済的な格差が個人の学力の差になるなんてなんだか
変な感じがします。
それっておかしいと思います。

学校に行けない。
行かない。
そうゆう子供と学校へ行っている子供の差は分かるけれど
学校に行っているのに経済的な理由での差が出るのはおかしいと思います。

教育にお金をかければかけるほど
頭のいい子ができるってやっぱ、おかしいと思いませんか?
それって、結局、学校で習うこと以外の学習が必要ってことでしょ?
と思うのです。
それって、学校、つまり先生の怠慢じゃないの?
と思うのです。

わたしは
小中は基礎をしっかり学ぶ場所、高校は自分の好みや向き不向きなど、方向性をある程度決める場所だと思うのです。
そして、大学は受け身で学ぶ場所ではなく自分で生み出す場だと思うのです。

だから、今の教育環境には疑問を持ってしまうのです。

勉強はお金をかければいいというものなのでしょうか?
貧乏は頭がよくない。
そんな偏見の世の中になっていいのでしょうか?

学びたいという意欲を育てる。
そんな環境を提供するのが教育なのではないでしょうか?

「わたしの家は貧乏だからわたしは頭が悪い。」
そう思ってしまった時点で可能性の扉は閉じてしまいます。
悪循環の始まりです。

「貧乏でも勉強できる。将来はお医者さんだ。」
そう思える環境を提供するのが教育ではないでしょうか?

「無償の教育」
それが学校ではないのかなぁと思ってしまうのは
わたしが理想主義者の世間知らずだからでしょうか。

なんて一人、思うのでした。

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