わたしの指針

2006年5月4日 日常
ダ・ヴィンチ・コードを読んでいてふと思ったのですが・・・

わたしって普通なら宗教とかに肩入れしてしまうタイプなのに
肩入れしてないよな。

ある宗教を非難する気はありません。
信仰心の強い人を否定するわけでもありません。
わたしは部外者ですから何かを言う立場にないのは
よく分かっています。
それはそれでいいと思います。
だからといって無神論者でもない。
この手の問題に触れる機会のない人間ではない。

知的好奇心の一つとして宗教というものに興味があります。

わたしにとって神様は身近な存在です。
というと変な感じだけれど
わたしが言う神とはわたしの周りを取り囲む目には見えないことです。
どうゆうわけか物心ついた時にはすでにそんな認識でした。
だから、運動会や学芸会などここぞと言うときには
元気玉よろしく「わたしに力を・・・」と神経を集中させその場のエネルギーを感じるという行為をしてきました。
大地に抱かれる感覚と言うのでしょうか?
ふと何かに包まれる気がしていました。

それと
宇宙−地球−アジア−日本−わたし
この流れが円で結ばれている。
そんなことも小さい頃から思っていました。

前にもちらっと書いたことがある話なんですけどね。

体中を巡る血管の先に広がる宇宙空間を感じる。
そんなことを感じながら
わたしは自分自身がこの宇宙を構成している物質の一つにすぎないと認識するわけです。
そして傲慢にも
宇宙はわたしの中にもあると考えるわけです。

数学のようにゆるがないものの中の一部だから、わたし自身も揺るがない。
だから神もわたしも変わらない。

そんな発想になっていくのです。
こんな自己中心的な考えの持ち主です。
我が侭と形容されるゆえんです。
でも
歴史も宗教もみんな人間がつくったものなんです。
その時に時に生まれては受け入れられ消えていくものの一つなのです。
なんてところに落ち着くわけです。

わたしはこの月華教というべき世界観でもって生きている気がします。

先の事など考えず先走ったり、
いろいろと心を病んだり、
みるからに上手な生き方ではないけれど
この指針だけは真っ直ぐ伸びている気がします。

しょせんわたしはわたし。
なるようにしかならない。
開き直りなのか
未来への希望なのか
それはこの先が決めること・・・。

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