わたしがわたしである為に
2006年12月13日 日常今日も
まったく関係ないことで
八つ当たりを受ける。
被害妄想甚だしい人と
生活を共にするのは
非常に疲れる。
自分のしたことを棚に上げるのだけは得意なのだ。
正論が通じない・・・。
まぁ、正論なんて通じないのが世の常だけれど・・・。
そのくせ
「わたしばかり・・・。」
なんて言っては何かを学ぼうとはしない。
これはもう
性格だからしょうがないと
思えば諦めもつくのだけれど・・・。
毎度のことになると
こっちが辛い。
人はそんなわたしを弱いと言うだけで助けてはくれない。
そんなことはわかっているのだけれど
時々、愚痴でも聞いて貰いたくはなるわけで・・・。
例えば
わたはこうこうこういう事情で
こんなことでこんな風になるから気をつけてくれ
なんて話をしたところで
なんの解決にもならない。
これは嫌だ、これには怒るなんて
意思表示をしてもお構いなし。
自分だけが我慢しているなんて顔をして生きている。
要は、
相手のことを考えていないというか
考えられないのだろうと思う。
対話をもてとか
向き合えとか言うけれど
それ以前の問題で
話が通じないのだからしょうがない。
それとも
わたしの考え過ぎなのだろうか。
神経質過ぎるのだろうか。
わたしの方が非常識なのだろうか。
最近はそんなふうに
自分を責めてしまうこともある。
わたしが全て正しいわけではないし
わたしだって人間だから
いろんな人に迷惑をかけているし
助けられている
偉そうなことを言える立場ではないのもわかっている。
けど、おかしいと思う。
どうして
ちゃんと自分と向き合って
一生懸命生きている人が
いろんな意味で
悩まされなければいけないのだろう。
どうして
救われないのだろう。
わたしはここで
こんなふうにグチグチ言えるから
まだましなのかもしれない。
いろいろあっても「小説を書く」ということに
出会えたから良かったのかもしれない。
できれば
押しつぶされそうになりながら
頑張っている人の
背中をそっと押せる人でありたい。
全てを許し、受け入れる器はまだないけれど・・・
せめて
同じような想いを抱いて生きている人を
応援できる強さは欲しい。
そんなことを思う昼下がり。
頑張れ。わたし。
まったく関係ないことで
八つ当たりを受ける。
被害妄想甚だしい人と
生活を共にするのは
非常に疲れる。
自分のしたことを棚に上げるのだけは得意なのだ。
正論が通じない・・・。
まぁ、正論なんて通じないのが世の常だけれど・・・。
そのくせ
「わたしばかり・・・。」
なんて言っては何かを学ぼうとはしない。
これはもう
性格だからしょうがないと
思えば諦めもつくのだけれど・・・。
毎度のことになると
こっちが辛い。
人はそんなわたしを弱いと言うだけで助けてはくれない。
そんなことはわかっているのだけれど
時々、愚痴でも聞いて貰いたくはなるわけで・・・。
例えば
わたはこうこうこういう事情で
こんなことでこんな風になるから気をつけてくれ
なんて話をしたところで
なんの解決にもならない。
これは嫌だ、これには怒るなんて
意思表示をしてもお構いなし。
自分だけが我慢しているなんて顔をして生きている。
要は、
相手のことを考えていないというか
考えられないのだろうと思う。
対話をもてとか
向き合えとか言うけれど
それ以前の問題で
話が通じないのだからしょうがない。
それとも
わたしの考え過ぎなのだろうか。
神経質過ぎるのだろうか。
わたしの方が非常識なのだろうか。
最近はそんなふうに
自分を責めてしまうこともある。
わたしが全て正しいわけではないし
わたしだって人間だから
いろんな人に迷惑をかけているし
助けられている
偉そうなことを言える立場ではないのもわかっている。
けど、おかしいと思う。
どうして
ちゃんと自分と向き合って
一生懸命生きている人が
いろんな意味で
悩まされなければいけないのだろう。
どうして
救われないのだろう。
わたしはここで
こんなふうにグチグチ言えるから
まだましなのかもしれない。
いろいろあっても「小説を書く」ということに
出会えたから良かったのかもしれない。
できれば
押しつぶされそうになりながら
頑張っている人の
背中をそっと押せる人でありたい。
全てを許し、受け入れる器はまだないけれど・・・
せめて
同じような想いを抱いて生きている人を
応援できる強さは欲しい。
そんなことを思う昼下がり。
頑張れ。わたし。
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