A thousand winds
2007年2月12日 日常「千の風になって」が話題ですね。
個人的にわたしが和訳するなら
素直に「千の風」とか
「千の風にのって」と訳すかなぁ。
というのも原詩を先日読んでみました。
素敵な詩ですね。
今、メジャーになっている日本語訳詩より
なんとなく心に浸みる感じがするのは
ちょっとは英語を学んだわたしの感性の問題でしょうか?
なんで、この詩に興味を持ったかというと
テレビのチャンネルを変えたときに
偶然、この詩の特集のような番組をやっていたわけです。
話題になっているのは知っていたので
ちょっとその番組を見てみました。
その番組を見ていて
幸せの反対は不幸せじゃなくて
不幸せの反対は幸せじゃなくて
どちらもしっかり見つめて向き合わなければいけない
ものなのかもしれないなぁと
思いました。
なんだかうまくは説明できないのだけれど
誰かが何処かで幸せなら
わたしも幸せなんじゃないかなぁ。
どうしようもなく
悲しいことや
苦しいことがあっても
この世界の何処かで誰かが
素敵な時間を過ごしているのなら
誰かが幸せならば
よかったなぁって思えて
ちょっとは自分の不幸も癒されるのかなぁ。
なんて欲のないことを考えてみました。
毎日そんな気持ちでいられるほど
わたしはご立派な人でもなく
嫉妬や欲望にがんじがらめな人間らしい人間だけれど
たまには
こんなふうに
誰かの安らぎに心を温かくしてみるのも
悪くはないかなぁ。
胸に手を当てると
思い出す大切な人がいます。
わたしは
その人の分まで
ちゃんと笑って
ちゃんと泣いて
またいつか
出会えるその日まで
生きてゆくのです。
個人的にわたしが和訳するなら
素直に「千の風」とか
「千の風にのって」と訳すかなぁ。
というのも原詩を先日読んでみました。
素敵な詩ですね。
今、メジャーになっている日本語訳詩より
なんとなく心に浸みる感じがするのは
ちょっとは英語を学んだわたしの感性の問題でしょうか?
なんで、この詩に興味を持ったかというと
テレビのチャンネルを変えたときに
偶然、この詩の特集のような番組をやっていたわけです。
話題になっているのは知っていたので
ちょっとその番組を見てみました。
その番組を見ていて
幸せの反対は不幸せじゃなくて
不幸せの反対は幸せじゃなくて
どちらもしっかり見つめて向き合わなければいけない
ものなのかもしれないなぁと
思いました。
なんだかうまくは説明できないのだけれど
誰かが何処かで幸せなら
わたしも幸せなんじゃないかなぁ。
どうしようもなく
悲しいことや
苦しいことがあっても
この世界の何処かで誰かが
素敵な時間を過ごしているのなら
誰かが幸せならば
よかったなぁって思えて
ちょっとは自分の不幸も癒されるのかなぁ。
なんて欲のないことを考えてみました。
毎日そんな気持ちでいられるほど
わたしはご立派な人でもなく
嫉妬や欲望にがんじがらめな人間らしい人間だけれど
たまには
こんなふうに
誰かの安らぎに心を温かくしてみるのも
悪くはないかなぁ。
胸に手を当てると
思い出す大切な人がいます。
わたしは
その人の分まで
ちゃんと笑って
ちゃんと泣いて
またいつか
出会えるその日まで
生きてゆくのです。
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