最近、やたらと更新中ですが(笑)
わたしは書いていることが好きだ。
なぜかと訊かれても応えられないのだけれど
書いている時は一人だから。
つまり
相手の反応をとりあえずは保留できるんだよね。
ってとこなのだろうか。
邪魔がはいらず思考できる。
だから
とりあえず
自由に書ける。
そうなのか???
いや
単純に好きなだけなんだろう。
最近は
読書感想文がコピペできるサイトまであるらしい。
賛否両論だろう。
正直わたしはカルチャーショックだ。
大学のレポートも今やコピペが主流らしい。
そんなことして面白いか?
コピペが出来るほどの情報収集能力と処理能力があるのに
なんで自分で考えられないんだろう。
きっと自分でコピペをした文章の意味さえ分かってないのかなぁ。
かわいそうだ。
彼らはコピペをした文章に対してなんの感想も無いんだろうか???
学生のころは確かにレポートに追われる。
日本で育ち
普通に日本の学校で育ってくると
論文やレポートの書き方をきちんと教わらないので
まじめにレポートを書くとすると本当に苦労する。
コピペというか根拠が欲しくて
関連文献などを読み漁る。
で、もっともらしいところをみつけなければいけない。
そして
そこに納得するか
しないかでまた考える。
はっきりしないことは調べる。
なんてことの繰り返しが勉強なんだと思うのですが・・・。
違うの?
正解なんてないんだよ。
とりあえずのスタンダードでみんな納得しているだけなんだよ。
とわたしは思う。
ほら、あなたの教授を御覧なさい。
あなたたちをフル稼働して今日も研究してるでしょ???
わたしは読書感想文を書くのが大好きだった。
本を読んで
その感想を書けばいいのだからこれほど自由に思考の幅を広げられる
チャンスはなかなか学校にはない。
「書き方を知らない。」
なんてことをよく聞くけど
そんなの好きに書けばいいじゃない。
つまらなかったなら
つまらなかったと書けばいいし
面白かったら
面白かったと書けばいい。
確かに大人はそこを突っ込んでくるよ。
でも
それだって
思ったことを素直に書けばいい。
わたしはそれでいいと思う。
わたしは「リンカーンの伝記」を読んでアメリカの大統領になろうと思った。
わたしは「西遊記」を読んで三蔵法師が立派な人だとは思わなかった。
わたしは「走れメロス」にはちっとも感動しなかった。
わたしは「竜馬が行く」を読んで竜馬が好きになった。
そんなんでいいんだよ。
そこからはじめればいいんだよ。
読書にルールなんてない。
感想文にルールなんてない。
読みたい本を読んで
書きたいように書けばいい。
意味が分からなかったら意味が分からないとかけばいい。
そう、分からなければ分からないでいいじゃないか。
そんなことさえ判断できない人たちが増えているのだろうか?
何かしらの反応はあるだろう。
ある物事に対して
何も感じないというのは絶対におかしいんだよ。
何かしら感じるんだよ。
とわたしは思う。
読書感想文だって100人いれば100人分の感想がある。
コピペの文章を探す暇があったら
本を読め!!って思う。
というか
あなたはなぜ、
その箇所をコピペしようと思ったのかって質問に変えたらどうだろう?
その応えもまたコピペなのだろうか?
まぁ、でもでも
ただ感想文を書けっていうのも乱暴な授業だよね。
頭の中を整理してあげればいいのにと思う。
例えば
あなたはこの主人公は好きですか?
いや
今の子達なら
この物語の主人公は誰でしょう?
からはじめなきゃいけないかなぁ。
まぁ、いずれにしろ
最近なんだか「分からない=出来ない→やらない」という人が多い気がする。
難しいことを考えるから
難しいことに挑戦するから
勉強なんだよと思う。
分かること、出来ることをしたって意味無いじゃん。
そもそもできて当たり前、それが当然のことなんてないんだよね。
わたしはよく
もし赤が青だったら?なんてことを真剣に考えていた。
実にどうでもいいことだったりする。
この考えって今思うと世界中の人が赤を赤と認識しているんだと
思い込んでいたふしがある。
でも英語を学んで世界中には赤以外の赤という表現があることを知る。
そうすると赤の語源は何だ?的な思考になってくる。
で、最終的には色の見え方まで考えが広がっていく。
気づくと脳の仕組みになって
挙句の果ては
体中のシナプスが繋がっていくのをイメージをしてみる。
そうすると宇宙が見えてくる。
だからわたしは人間の体のことが全て分かれば宇宙が分かると考えていた。
学問ってあらゆる分野が密接に繋がっているんだと思う。
それにしても
今の時代って誰でもコピペが出来るほど
情報があふれているんですね。
それを素直に信じてコピペしてしまう現代人。
今はまだ情報提供者がいるからいいけれど
そのうち
コピペ世代が情報提供者側になったら
どうするんだろう。
提供される情報がないから
きっと考えすぎる若者たちなんてことがニュースになるんだろうなぁ。
あっ、もう1時だ・・・。
やばいなぁ。
というわけで
こんな生活にはどうでもいいことを考えている。
わたしは書いていることが好きだ。
なぜかと訊かれても応えられないのだけれど
書いている時は一人だから。
つまり
相手の反応をとりあえずは保留できるんだよね。
ってとこなのだろうか。
邪魔がはいらず思考できる。
だから
とりあえず
自由に書ける。
そうなのか???
いや
単純に好きなだけなんだろう。
最近は
読書感想文がコピペできるサイトまであるらしい。
賛否両論だろう。
正直わたしはカルチャーショックだ。
大学のレポートも今やコピペが主流らしい。
そんなことして面白いか?
コピペが出来るほどの情報収集能力と処理能力があるのに
なんで自分で考えられないんだろう。
きっと自分でコピペをした文章の意味さえ分かってないのかなぁ。
かわいそうだ。
彼らはコピペをした文章に対してなんの感想も無いんだろうか???
学生のころは確かにレポートに追われる。
日本で育ち
普通に日本の学校で育ってくると
論文やレポートの書き方をきちんと教わらないので
まじめにレポートを書くとすると本当に苦労する。
コピペというか根拠が欲しくて
関連文献などを読み漁る。
で、もっともらしいところをみつけなければいけない。
そして
そこに納得するか
しないかでまた考える。
はっきりしないことは調べる。
なんてことの繰り返しが勉強なんだと思うのですが・・・。
違うの?
正解なんてないんだよ。
とりあえずのスタンダードでみんな納得しているだけなんだよ。
とわたしは思う。
ほら、あなたの教授を御覧なさい。
あなたたちをフル稼働して今日も研究してるでしょ???
わたしは読書感想文を書くのが大好きだった。
本を読んで
その感想を書けばいいのだからこれほど自由に思考の幅を広げられる
チャンスはなかなか学校にはない。
「書き方を知らない。」
なんてことをよく聞くけど
そんなの好きに書けばいいじゃない。
つまらなかったなら
つまらなかったと書けばいいし
面白かったら
面白かったと書けばいい。
確かに大人はそこを突っ込んでくるよ。
でも
それだって
思ったことを素直に書けばいい。
わたしはそれでいいと思う。
わたしは「リンカーンの伝記」を読んでアメリカの大統領になろうと思った。
わたしは「西遊記」を読んで三蔵法師が立派な人だとは思わなかった。
わたしは「走れメロス」にはちっとも感動しなかった。
わたしは「竜馬が行く」を読んで竜馬が好きになった。
そんなんでいいんだよ。
そこからはじめればいいんだよ。
読書にルールなんてない。
感想文にルールなんてない。
読みたい本を読んで
書きたいように書けばいい。
意味が分からなかったら意味が分からないとかけばいい。
そう、分からなければ分からないでいいじゃないか。
そんなことさえ判断できない人たちが増えているのだろうか?
何かしらの反応はあるだろう。
ある物事に対して
何も感じないというのは絶対におかしいんだよ。
何かしら感じるんだよ。
とわたしは思う。
読書感想文だって100人いれば100人分の感想がある。
コピペの文章を探す暇があったら
本を読め!!って思う。
というか
あなたはなぜ、
その箇所をコピペしようと思ったのかって質問に変えたらどうだろう?
その応えもまたコピペなのだろうか?
まぁ、でもでも
ただ感想文を書けっていうのも乱暴な授業だよね。
頭の中を整理してあげればいいのにと思う。
例えば
あなたはこの主人公は好きですか?
いや
今の子達なら
この物語の主人公は誰でしょう?
からはじめなきゃいけないかなぁ。
まぁ、いずれにしろ
最近なんだか「分からない=出来ない→やらない」という人が多い気がする。
難しいことを考えるから
難しいことに挑戦するから
勉強なんだよと思う。
分かること、出来ることをしたって意味無いじゃん。
そもそもできて当たり前、それが当然のことなんてないんだよね。
わたしはよく
もし赤が青だったら?なんてことを真剣に考えていた。
実にどうでもいいことだったりする。
この考えって今思うと世界中の人が赤を赤と認識しているんだと
思い込んでいたふしがある。
でも英語を学んで世界中には赤以外の赤という表現があることを知る。
そうすると赤の語源は何だ?的な思考になってくる。
で、最終的には色の見え方まで考えが広がっていく。
気づくと脳の仕組みになって
挙句の果ては
体中のシナプスが繋がっていくのをイメージをしてみる。
そうすると宇宙が見えてくる。
だからわたしは人間の体のことが全て分かれば宇宙が分かると考えていた。
学問ってあらゆる分野が密接に繋がっているんだと思う。
それにしても
今の時代って誰でもコピペが出来るほど
情報があふれているんですね。
それを素直に信じてコピペしてしまう現代人。
今はまだ情報提供者がいるからいいけれど
そのうち
コピペ世代が情報提供者側になったら
どうするんだろう。
提供される情報がないから
きっと考えすぎる若者たちなんてことがニュースになるんだろうなぁ。
あっ、もう1時だ・・・。
やばいなぁ。
というわけで
こんな生活にはどうでもいいことを考えている。
コメント
読書感想文のコピペですか…。信じられない時代になったのですね。
自分の思ったことを正直に書くことが大切な経験になるのに…。
ちなみに私は中学校時代に、ぼくらの七日間戦争の感想文を正直に書いて、国語の先生に怒られています(汗)。
お久しぶりです。
書くことって凄く大切な経験ですよね。
わたしも「メロスは最低だ」と言い
国語の先生を困らせたことがあります(笑)