責任考

2006年7月22日 日常
国としての責任
組織としての責任
親としての責任
個人としての責任

最近、そんな事を問われる話題が多いですね。

一羽の蝶の羽ばたきが地球の反対側に嵐を起こすなんていう
バタフライエフェクトという言葉があります。
前にここでこのタイトルの映画の感想を書いてます。

人間一人、何をしたって、たいしたことはない。
なんてわけにはいきません。
かといって一つ一つ自分の行動にともなう結果と責任に
ついて考えていては何もできません。
境界線での微妙な駆け引き。
そんなことをして生きているんだと思います。

人間社会なんてやっかいなものです。

してはいけないこと。
それは経験から悟っていくものだと思います。
してはいけないと始めは分かっていても
周りに飲まれ
気がつくと
してはいけない認識がなくなってしまう。
そんなことも世の中には沢山あります。
とくに大人の世界では
裸の王様にすぐなってしまいます。

自分の頭の上にいつ落ちてもいいような
大きな岩がある。
落ちないかどうか常に注意ははらうものの
落ちたときは死ぬとき。
だから
いつでも死ねる覚悟を持つ。
なんてことを考えて日々歩いていたお侍さんもいたそうです。
要するに
自分の中に一本、筋を通すこと。
背中に隙はつくらない。
そんな心構えを忘れないでいたいです。
昨日は朝から
鼻水が止まらず
涙も止まらず
しかたがなしに
鼻炎のお薬を飲み
それからずっと睡魔と闘い負けました・・・。

鼻炎のお薬ってどうして眠くなるの?
そもそも
何がどうなって鼻水が止まるの?
眠くなるって事は
鼻じゃなくて脳に働きかけているの?
なんて疑問が・・・。
あの化学式が分かれば理解できるのでしょうか?
どの成分がなにに効くかじゃなく
どうやって体内で働くのかが今は知りたい。

眠くならない鼻炎のお薬ってあるのかしら?

鼻の穴に突っ込んでシューって吹き出す薬は
苦手だし、あれをやると
鼻の中が痛い気がするので嫌だしなぁ・・・。

どうゆうわけか粘膜が弱いわたし。
鼻炎と日々格闘中です。

プロフィールを

2006年7月18日 日常
書き直したりしてみました。

小説を書くなんていったのに
どうも気分が乗らず
まぁ、1ヶ月前から
書き直す気でいたので
こっちを先にってわけです。
気がついたら猫でした。
という設定で
日々を考えてみる。
夏目漱石にはなれません。
それに、わたし夏目さんが苦手・・・。
「我が輩は猫である。」
読破せずに、何処かに行方不明。

火曜日です。
チューズデイとトゥーズデイ。
カタカナにするとこんな感じ?イギリス英語とアメリカ英語。
最近、英語を聞いてもさっぱり分からない・・・。
重症です。
おそらく文字にすれば分かるのだろうけれど・・・。
ちょっと真面目に勉強し直さなければ。
それはさておき

なんだか小説を書きたいのに
書いてないわたし。
書き出すと時間は過ぎていくのですが・・・。
なんか違う。

それにしてもこの日記。
こんなふうに同じ事を何度も書いているのも困ったものです。
転んでは起きてまた転んで・・・。

例えば
家の前に咲いている花の美しさを言葉にしたり、
透き通る海と突き抜ける青空になにか添えてみたり、
帰ってきた自衛隊について考えたり、
世界情勢と日本なんてテーマで語ったり、
わたしには出来ないのだろうか?
いや、やらないだけだ。

天使が恋をして世界が救えるか?
女子高生が誘拐事件を演出できるか?
死んだはずのカリスマは蘇ったのか?
憧れの人に会った女の子はどうなるのか?
アメリカで第二次南北戦争が起こったら日本はどうなるのか?
日本が国じゃなくなったらどうなるのか?
人捜し専門の探偵さんの日常はどんなものか?
だいたいそんなことを頭の隅っこで考えているわけです。
まだあった。
メロンパンと殺人事件。
こんなことがくっついたり離れたりして
わたしの脳内シナプスを刺激しているはずなんですが・・・。

日の目を見るには己の努力と根性が
どうしても必要な毎日です。

無謀にも弁理士に興味をもってしまうなんて・・・。
学校離れてから随分理数系の知識を要する分野に興味を持っている気がします。
あぁ、勉強したい。
知識欲だけ成長中?

今夜は小説を書いて寝ようと思います。
ずっと太陽を見ていません。
きっとロンドンはこんな感じなんだろう。
行ったことはないのだけれど。

日光が嫌いなわたしでも
さすがに太陽が恋しくなります。
だって夏なのに。
北海道は梅雨がないっていうじゃない。
そんなふうに思ってしまうのです。
青く透き通る海が恋しいです。

こんなぱっとしない夏。
すでに三大祭りの二つが終了。
昔はもっと屋台が並び、花火があがって
けっこう名の知れた演歌歌手なんかが来て・・・。
けど、今は町内会のイベントチック。
まぁ、しょうがないだろう。
一度、無くなったものをもとに戻すのには
相当のエネルギーがいるものだと
あらためて思います。
けど、今が悪いわけじゃない。
わたしがお祭りをエンジョイしていないだけ・・・。
おそらくアレルギー性鼻炎。
鼻水が洪水状態。
目がかゆくて仕方がない。
人様に会える顔じゃない・・・。
いいかげん、病院に行こうか思案中。
頑張れ、負けるなわたしもそろそろ限界?
それよりも
最近、異常に起きられないのです。
午前五時。
目が覚める。
そして二度寝。
六時くらいから八時過ぎまで
完全に落ちております。
それだけじゃなく
寝ても寝ても寝たりない。
どうしたわたし?です。
運動不足なのでしょう。
ちょっと気合いを入れ直す必要があるのでしょう。
けれど・・・。

言い訳なんてできません。
完全に駄目人間街道爆走中です。
いったい何処でこけるのか・・・。

社会を嘆くか
自分を嘆くか
みんな、頑張っているのに
焦りながら
もう少し
ここで踏ん張る
いつもとは違う自分
駄目でも
生きてることは生きている
ここが変わり目
めげるな進め
今日も誰かが生まれて誰かが亡くなって
世界の何処かで誰かが苦しんで楽しんで・・・
ミサイルなんかを発射されて
ワールドカップに一喜一憂して
宇宙へ夢を打ち上げる。
なんてことを全てわたしが把握しているわけではない。
わたしはわたしでいろいろあって。

まだモラトリアムから抜けきれないのかしら?
このままでいいのか?
ふと将来の見えなさに不安がよぎる。

夢くらいはある。
けれど・・・。
自分がとても小さく取るに足りない存在。
それは分かっている。
本当は存在などしていないのだろうか・・・。
そうは思うものの
抜け出すほどの強い意志など
持ち合わせてはいない気がする。
戦うことがまだできない。
何かを失うという予感が
全てを止めてしまうのだろうか。

答えのない自問をずっと続けている。
いったいここは何処だろう・・・。

順風満帆。
その風をわたしは知らない。
何処かで何かがわたしを捉えている。
過去の過ちなのか
それが宿命なのか

体のどこを探してもやる気が出てこない。
完全に堕落。
不健康なのは肉体か精神か。
おそらくどちらもなのだろう。

無心に労働をし無心に眠る。
それができればどんなに楽だろう。

一体、わたしは何処へ行く。
この短い一生に何を残す。
命をかけたいのは一つだけ。
何もせずにひたすらに
書き続けたい。
その想いだけが空回り。
笑っちゃうくらい空回り。

なんてどうにもこうにも情けない最近のわたしです。

サンド・ノート

2006年7月4日 日常
今朝、奇妙な夢を見て寝覚めが悪かったです。

なぜか砂で浸食されてゆく
ノートに書かれた言葉を
わたしは必死で書き直すのです。
それも海辺で。
しかもわたしは夢の中では男性なのです。

どこかで聞いたことのあるような
ないようなフレーズを必死で書き直していると
そのフレーズが映像化され
目の前に広がるのです。
それも砂で浸食されてゆくので
必死で直してゆくのですが
あまりのへんてこな状況に
手がおえなくなりふと後ろを向くと
少年が二人波打ち際で遊んでいるのです。
そしてなぜか緑の色をした砂の壁がその少年達の側にあって・・・

わたしはその緑の砂がとても危険だと知っているのです。
すでにその近くで遊んでいる少年の
命がまもなく消えることも・・・。
よく見ると少年の顔には緑色の砂がこびりついているのです。
わたしはなぜか危ないと分かっているのに
わたし自身は拒否しているのに
その緑の砂の壁を壊すのです。

そしてわたしも砂に浸食されて行くのです。
いくらほろってもほろっても砂はわたしの顔を覆い
溢れてくるのです。
そして最後に
砂だらけなわたしの顔とわたしの意識は向き合うのです。
あぁ、もう、これで死ぬんだ。
なんて感じで目を覚ましました。

4:30でした。
そのご布団の中でゴロゴロしているうちに眠ってしまったのですが
また砂のお話。
あのサンド・ノートが現れたのです。

お陰で今朝はいつもにまして
気だるかったのです。
もう、こんな夢は見たくないので
ここに残しておきます。

倫理の授業

2006年6月26日 日常
最近、高校の頃に倫理の教科書と一緒に手渡された
倫理の資料を読んでみたりしています。
国語便覧みたいなやつです。

高校の頃は数回、開いたかどうかのページを
今になって、じっくり読んでいます。
内容はこれが意外に面白いのです。
その当時の資料なので話題が古いと言えば
古いのですが専門家でもないので
別に気になりません。

思えば倫理は嫌いじゃなかったです。
ただ、人名や用語など覚えるのがことさら苦手なわたし
テストの成績はパットせず。
なんとなくやり過ごしていた感じです。

けど、この倫理の授業、もっと大事にすべきじゃないかと思うのです。
なにも、教科書開いて、退屈な授業をやろう!なんてことじゃないんです。
もっと、生きるとは?なんて問いに真剣に向かい合う時間として
成立する授業だとふと思ったのです。
テーマを決めてとことん言葉のバトルをする。
そんなことができたら
若者も軌道修正できるんじゃないですか?
誰もが抱えてしまう問題を
わたしたちはあまりにあっさり捨てて大人になってしまう気がします。
そんなこと・・・。
なんてことに未だにこだわっているわたしは
時々、現れる途方もない不安を解決すべく
倫理の資料を読んでいるわけです。

歩く度に
自分の周りを疑いながら
転がる命題を拾い
頭を抱えてしまう
これも全て脳の働きなのだよ。
なんて片隅で思いながら
今日もなんとか生きているわたしです。

悩める新人。

2006年6月13日 日常
英会話を教えて欲しいというお声がかかりまして
とりあえず、いろいろと準備をしています。
なんで、忙しいです。
大手の書店へ行って教材のチェックとかしたいのに
できません・・・。
ネットで検索してすっかり時間が過ぎていきます。
コースブックや市販のテキストを使うと絶対楽。
けど、わたしの資本金も限られているわけで・・・。
自分でいろいろと考えるべきか・・・。
監修してくれる人がいないし・・・。
なんてわけで
大いに悩んでいます。

せっかくのお声なので無駄にはしたくないわけです。

小説を書くのがしばしお休み状態。
頑張れわたしです。

去年の今日は

2006年6月10日 日常
ちょうど日記を始めたのです。
なんだかんだで1年です。

たいしたことも書かずに
1年です。
けど、一人で悶々としているよりはいいんじゃないかしら。
これからも
パソコンが使える環境にある限り
気の向くままに書いていきたいと思います。

なんて気持ちも新たに
いろいろと頑張ろうかなぁ。
と前向きになってみるわたしです。

ご覧になっている皆さん
いつも有り難うございます。
心からの感謝を込めて・・・。

あこぎな世の中

2006年6月5日 日常
最近のニュースで感じるのが大人のあこぎさ。

確かにバカ正直に正しいことをやったって
生きてはいけない。
ぎりぎりのところで折り合いを付けなければならない。
それが上手にできる人が
とりあえずは勝っていられる。

半年くらいしか一つのところで働いたことがないので
表面的なこと
あんまりその仕事には重大ではないことしか
知ることができなかったけれど
それでも大人社会にはあこぎがはびこっている。
判断基準のない新入社員は
あこぎに気づかずそれを正しいと教え込まれたりもする。
最初は疑問に思っても
それを言葉にして戦える正義のヒーローなんて
なかなかできるもんじゃない。
まさに「赤信号みんなで渡れば怖くない。」なのである。
それに生活だってかかっている。
結局はみんなあこぎスレスレを生きている。

それにしても
最近はあこぎがあこぎを暴き出すなんて感じもしないでもない。
おまけにあこぎが開き直ったりする場合もあるから
やりきれない。

あこぎができない人はとっても生きづらいにちがいない。
同情してしまう。
けれど
そんな不器用な人を応援したい。

どうかあこぎに負けないあこぎにだけはならないで・・・。
ふとそんなふうに社会を憂いているのです。
ここ2日ばかり、奇妙な夢を見たせいか
ちゃんと寝てるのか不安なわたしです。
夢を見ている時に途中で起きちゃうんですよね。
起きてるのは分かるんだけど
眠いからそのまま布団の中にいる。
そうするとうつらうつらしているうち
また夢の中に戻る。
そんなわけでやたらに疲れてしまいます。

眠っている夢を見たんですが
会ったこともない人物、林君に眠りを邪魔される夢を見ました。
おまけに、夢の中で眠っているわたしが男。
あんた誰?って状態なのに
夢の中のわたしはわたしの意志を無視して林君と話しているわけです。
本当は死ぬほど眠いのに、
何やら林君と話しているんです。
林君はわたしのことが大好きなようで・・・。

そんなわけで朝、起きれませんでした。

そして、ひよこの足をした猫型ロボット?を飼うことになったわたし。
そんな夢を今朝見ました。

なんだかインパクト大な夢だったんで
忘れられない林君とひよこ猫。
この夢に何か意味があるとが思えません。
けれど、妙に気になる夢でした。

なんだか寂しげな林君。
君はいったい誰?
そして
気持ち悪いはずなのに
めちゃくちゃかわいいひよこ猫。
わたしを惑わすのでした・・・。
映画の酷評は致し方ないとして
すっかり有名になったダ・ヴィンチさん。

テレビの特集なんかを見て
ふと思ったのです。
ダ・ヴィンチさん、これは全て
あなたの思いつきなのではないですか?
あなたの頭の中でふと思いついてしまった
ことなのではないですか?
今の人たちが言っているような
たいそうなことではなくて
あなたが残した数々の発明と
何ら変わらないのではないですか?

だって、わたしも時々
「そんなこと、言っちゃったらやばいかも。」
なんてことを思いつきますよ。

日本は
神様だった天皇を
人間だって認めた国ですから、
いや、人間だった天皇を神様にしちゃった国ですから
きっとたいていの人は
ダ・ヴィンチさんの思いつきを楽しんでいると思いますよ。
いつの世だって力のある者が
自らの正当性を主張するために歴史を書くんですよ。
そして埋もれながらも気づかれないように息づく
もう一つの歴史がある。
そんな気がします。
だからきっと
あなたの触れた数々のことを繋ぎ合わせてみると・・・
やっぱりダ・ヴィンチさんの思いつきでしょ?
その当時の人たちは本当はみんな知っていたことなんでしょ?

こんなになるとは思っていなかったんじゃないですか?
ねぇ、ダ・ヴィンチさん、
あなたの真実はいったい何処にあるのですか?
偉そうなことは言えない立場なわたし。
けど、考えることはあるわけです。

新聞を読んでいたら
ニートもフリーターも相変わらず肩身が狭いですよね。
そこでふと
ニートとフリーターは別物じゃないだろうか・・・

ふとそんなことを思うのです。

いろんな人がいるわけだから
一概にどうだとは言えないことは百も承知で
フリーターにはもっと社会で活躍する場を!
と思うのです。
親元にいるから適当に・・・
そんな感じでフリーターを
やっている人ばかりじゃないと思います。
本当に夢を追いかけて頑張っている人もいるんじゃないかしら。

わたしは正社員思考の人間でした。
やっぱり人たるもの社会に出て働かなければ。
そう思い就職活動をしていました。
けれど自分の夢である職業にはつけなかった。
そこで、
生活のためにと視点を変えて
就職先を見つけて・・・
仕事に追われ、気が付いたら体を壊し・・・
それでも自分が至らないから
こうなったのも自分が悪いとまた仕事を探し・・・
同じことのくり返し・・・。

頑張れと励まされもしましたが
そんなになってまで続けることに
意味を見いだせなかったのです。
正社員、仕事、いったい何だろう・・・
夢もなくただ生活のために仕事をする。
それがいつしか仕事のために生活をする。
自分がどんどん朽ちていく・・・
逃げなのかもしれませんが
希望のない将来に向かって何になるのでしょう・・・。

とは思うものの現実問題として
将来が不安。
少しでも自分にあった仕事を
続けられる仕事を
と探してみるのですが
社会の目はそんなに優しくないわけです。
この年齢でフリーターだったり
職を転々としていたりして
キャリアがない場合は
結局、フリーターでしかない。
よっぽど何かを持っていなければ上手くはいかない。

もっとスタイルにこだわらず
自由に働ける環境があってもいいと思います。
フリーターやパートだって立派に仕事じゃないですか。
アルバイトでもパートでもいいから
とにかく働きたいと思った時に
働ける環境。
そんなのがあればニートだって
ちょっとは前向きになれるんじゃないかと・・・。

だからニートとフリーターは別に扱ってもらいたいです。
なんて偉そうなことを言っています。

花嫁修業、家事手伝いと言って良家のお嬢様が仕事もせず、
お見合いなんかで結婚していることだってあるじゃないですか。

まぁ、厳しさから逃げてしまった人たちに
厳しさをさらに押しつけたところで
脱落してゆくばかりではないのかしら?
まずは厳しさに耐えられる、
厳しさに挑める力を付けないと、
なんて甘いことを考えています。

だからわたしはダメなんだ!!

けど、夢があります。
だから人生を諦めたわけではありません。

夢へ向かうということを
最近までしたことがありませんでした。
世の中の当たり前に乗っかるように
育てられてきたもので・・・
けど、そっからはみ出して
落ちてみてやっと気が付きました。
わたしがやりたいこと。
肩身は狭いし、自分に情けなさを感じるけれど
今は模索中です。
自分らしさを取り戻すために・・・。
急に
自分を責めてみたり
急に
自分を誉めてみたり

この先の不安を消すように
毎日、笑ってみる

そうやって
生きていくのは
きっと
不自由な生き方で
きっと
甘えた考えで

でも・・・
言い訳が上手くなった気がする。

もう一度
自分を見つめて
もう一度
自分を信じて

まっすぐに歩きたい

自分と
誰かの為に
光を見つけたい
最近、「今日の英単語」をさぼり気味です。
温かくなってきたので
散歩をしているんです。
そして英語を日に5時間聴くのを目標に
睡魔と闘いながら英語を聴いているんです。
小説が進まないんです。

という
なんとも世から離れた生活をしております。
本人は収入もなく
これからどうしようなんて
悩める日々なのですが
衣食住にとりあえず困っていないので
すごく恵まれていると
思わなければいけない状態です。
情けない自分に鞭を打ち
全てに感謝しなければいけないのは
分かっているのですが
そこはエゴの固まりのわたしです・・・。

こんな生活になぜ、文句があるのか。
それは人間だから?
やっぱりわたしは悲観論者なのかしら?
自分の中での挫折と敗北をこれまで5回ほど
経験してきて
すっかりひねくれ者になったしだいですが
そんなわたしでも心がけていることがあります。
人と話すときは向き合う。
人が苦手なわたしでさえ
あがってまともに人の目も見られないわたしでさえ
心がけています。
けれど
ここには・・・
まったく別方向を見て話している人たちが・・・
体の向きとかじゃなくて考え方や心持ちがまったく逆。
自分が自分がで相手の話には一切、聞く耳を持たない。
話を聞けない。
これは致命的なことだとわたしは思います。

自分の意見を持つことは大切なこと。
そして
その意見に責任を持つことも大切なこと。
それと
同じように他の人も意見を持っている。

海辺を一人歩いて
偉そうなことばかり考えています。
やっぱりプライドが高いわたしです。

いつかこの海の向こうへ羽ばたいて・・・
なんて野望を抱く毎日です。

手が・・・

2006年5月17日 日常
自分は左利きだったはずに違いないと
信じて疑わない右利きのわたしです。
包丁は左です。
針に糸を通すのも左です。
バットは両打ちできます。
時々、右と左が分からなくなります。

原因不明の末端神経障害?が治ってないのかしら?
右手がむくんで痛いかも・・・。

それでもめげずに
自作の小説と向き合い
詩を書いています。

やっぱりこの時間が一番
自分に合っています。
なんだろう
存在を感じる時間なのでしょうか。

これから「水曜どうでしょう」です。

寝る前に。

2006年5月17日 日常
カレーパンを作ってみました。
今度は成功したみたいです。
前回は
本人だけが不満で、なかなか好評だったので
今回は自分も納得したくて作ってみました。
朝ご飯です。
もう12時を回ってしまいました。
もうすぐ1時です。
こうなるとなかなか眠れないのですが
これから布団に潜って
楽しいことでも考えます。
今朝の夢の続きなんかをまた夢で見れたらいいかもしれないです。

で、
ふと思ったのです。

夜が長いのか
朝が来るのが遅いのか
あぁ
結局は気の持ちよう。

気楽にいっても
たまにはいいんじゃないかと・・・
どうせあと数時間で夜明けだし。

最近の・・・

2006年5月16日 日常
なんだか
運勢が下降気味。
暗黒時代へ突入の予感です。

そんな感じで
ダルダルしています。

いったいなにやってるんだろう?
そんなことを考えているしだいです。

それはいつものことなのですが
もともと
自分に自信がないのにプライドが高いので
何かをしていないと
不安が体を駆けめぐります。
唯一の心のよりどころの小説を書くことに
自信がないのが何よりもの打撃。
書いても何か物足りないのです。
だから他の何かをしなければ・・・。
でも、今は何かって何?です。

世の中を斜めに見みても
時代への不平不満を語るわけでもない。
わたしのエッジは何処へいってしまったのやら・・・。

外耳炎で動いて風が耳に当たるだけで痛い。
なんて激痛に3日耐えたせいか
そのイライラして寝込んだ3日がもったいないのか・・・。

とにかく
なんだかパッとしなくて
ひたすら眠い。
ちょっと内にこもる時期がやって来たのかしら。

そんな感じの毎日です。
久しぶりの日記もさえないわたしです。

わたしの指針

2006年5月4日 日常
ダ・ヴィンチ・コードを読んでいてふと思ったのですが・・・

わたしって普通なら宗教とかに肩入れしてしまうタイプなのに
肩入れしてないよな。

ある宗教を非難する気はありません。
信仰心の強い人を否定するわけでもありません。
わたしは部外者ですから何かを言う立場にないのは
よく分かっています。
それはそれでいいと思います。
だからといって無神論者でもない。
この手の問題に触れる機会のない人間ではない。

知的好奇心の一つとして宗教というものに興味があります。

わたしにとって神様は身近な存在です。
というと変な感じだけれど
わたしが言う神とはわたしの周りを取り囲む目には見えないことです。
どうゆうわけか物心ついた時にはすでにそんな認識でした。
だから、運動会や学芸会などここぞと言うときには
元気玉よろしく「わたしに力を・・・」と神経を集中させその場のエネルギーを感じるという行為をしてきました。
大地に抱かれる感覚と言うのでしょうか?
ふと何かに包まれる気がしていました。

それと
宇宙−地球−アジア−日本−わたし
この流れが円で結ばれている。
そんなことも小さい頃から思っていました。

前にもちらっと書いたことがある話なんですけどね。

体中を巡る血管の先に広がる宇宙空間を感じる。
そんなことを感じながら
わたしは自分自身がこの宇宙を構成している物質の一つにすぎないと認識するわけです。
そして傲慢にも
宇宙はわたしの中にもあると考えるわけです。

数学のようにゆるがないものの中の一部だから、わたし自身も揺るがない。
だから神もわたしも変わらない。

そんな発想になっていくのです。
こんな自己中心的な考えの持ち主です。
我が侭と形容されるゆえんです。
でも
歴史も宗教もみんな人間がつくったものなんです。
その時に時に生まれては受け入れられ消えていくものの一つなのです。
なんてところに落ち着くわけです。

わたしはこの月華教というべき世界観でもって生きている気がします。

先の事など考えず先走ったり、
いろいろと心を病んだり、
みるからに上手な生き方ではないけれど
この指針だけは真っ直ぐ伸びている気がします。

しょせんわたしはわたし。
なるようにしかならない。
開き直りなのか
未来への希望なのか
それはこの先が決めること・・・。

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